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ライル・メイズさんのご冥福を祈ります。 [音楽]



基本的にビ・バップが好きなもので、
最初はジェフベックグループのヤン・ハマーのように、
興味はなかった。
ああいう感じなら、カシオペアの方がいい。
と言いつつ、パット・メセニーにも興味はなかった。
もう、働く頃だったし、ギターを売り払った頃だった。

PMGに出会ったのは、かなりそのあと。
三十路あたりでのライブアンダーザスカイかな。
遠くのステージで、
あまりに素晴らしいバンドサウンドが聴こえ、
ガタブルした。
双眼鏡で観たパットはしきりにピョンピョン飛び跳ねていた。
(あぁ、こういう感情のこもったギター久しぶりだなぁ)。

一発でPGMファンになったおいらはCDを買い始めた。
たまらない。素晴らしいサウンドに素晴らしいギターソロ!
あぁ、ビバップじゃなくても大好き^@^w
しかもあまりにサウンドもギターもうますぎるので、
コピーするとかしないとかでなく、聴くしかできなかった。

で、ここでキーボード、ライル・メイズさんなのだが、 残念・・・R.I.P. Lyle Mays

「パット・メセニー・グループ(Pat Metheny Group)のメンバーとして知られている
ジャズ・ピアニストのライル・メイズ(Lyle Mays)が死去。
パット・メセニー(Pat Metheny)の公式サイトで発表。
声明では「愛する人たちに囲まれて、再発性疾患との長い戦いの末、
今日(2月10日)ロサンゼルスでこの世を去った」と伝えています。
訃報はライルのFacebookページでも発表。ライル・メイズは66歳でした。」

「パット・メセニーは「ライルは私が知っている最も偉大な音楽家の一人だった。
30年以上にわたって、音楽で共有したすべての瞬間は特別なものでした。
一緒に演奏した最初の音から、すぐに絆が生まれました。
彼の幅広い知性と音楽の知恵は、全ての面において彼が誰であるかのあらゆる側面を知らせた。
あなたがいなくて寂しいです」と追悼しています。」

「「ライル・メイズは米ウィスコンシン州ウォーソーキー生まれ。
ノーステキサス大学在学中、作曲と編曲を手掛けたビッグバンドOne O'Clock Lab Bandのアルバム
『Lab '75』がグラミー賞にノミネートされる。1974年にパット・メセニーと出会う。
1977年にパット・メセニー・グループ加入。それ以来、パットの片腕としてグループに貢献した。」
http://amass.jp/131162/

パット・メセニー自身がサウンドクリエイターだったPMG。
その相棒、ライル・メイズのキーボードはサウンドの肝だ。
ギターだけではできない音楽スケッチは、ラウル・メイズ他、
バンドメンバーがいてのものだ。
一度、YouTubeで彼の若い頃の動画でビバップを聴いたが、
すごい長い演奏で、かなりアバンギャルドだったなぁ。
ちなみに彼がいたPGMの日本最後の公演は偶然観ている。
ブルーノート東京。おいらの席は彼ライルメイズのちょうど指の動きが見えるあたり。
ノートパソコンを操りながら、鮮やかなサウンドに酔いしれた。

さようなら。ライル・メイズ。
長いツアーが嫌いでパットとあまりやらなくなったと思ったら
病気と闘っていたんですね。さようなら。合掌。

metheny_mays.jpg
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