今年も一年有難う御座いました。 [日記]
前略
本年は誠に有難う御座いました。
猿・鶏・犬と続いた桃太郎鬼退治のカオスな時代が終わり、
来年は亥年。猪突猛進の勢いで世界が変わるかも知れません。
還暦を迎える私はそれでも変わらないかも知れません(笑)。
しょうがありませんね。
年末年始の皆様のラッキーと来年の充実を願っています。
敬具
本年は誠に有難う御座いました。
猿・鶏・犬と続いた桃太郎鬼退治のカオスな時代が終わり、
来年は亥年。猪突猛進の勢いで世界が変わるかも知れません。
還暦を迎える私はそれでも変わらないかも知れません(笑)。
しょうがありませんね。
年末年始の皆様のラッキーと来年の充実を願っています。
敬具
合掌。 [日記]
東京で893に下駄で額割られて、
青森に逃げ、そのまま住み着いて、
自動車工となり、
キレイな東北美人と結婚し、
ふたりの男の子をもうけ、
毎日、酒あおって笑って、
糖尿になるが温泉と釣りとテニスで復活。
たくさんの孫に囲まれていたが、
すい臓癌で昨日、亡くなった。
十二月は多いな。
叔父さん、七十一歳。
大みそかに生まれ、大みそかに葬儀。
昭和、平成を生きた。御疲れ様でした。
合掌。
青森に逃げ、そのまま住み着いて、
自動車工となり、
キレイな東北美人と結婚し、
ふたりの男の子をもうけ、
毎日、酒あおって笑って、
糖尿になるが温泉と釣りとテニスで復活。
たくさんの孫に囲まれていたが、
すい臓癌で昨日、亡くなった。
十二月は多いな。
叔父さん、七十一歳。
大みそかに生まれ、大みそかに葬儀。
昭和、平成を生きた。御疲れ様でした。
合掌。
来年の予測^^;汗だくw [日記]
さぁ、来年!は還暦だしいいことあるだろうなぁ^@^v…
がびーんちょーー;
記憶に新しい大きな地震が亥年に起こっていることが分かります。
1707年 宝永地震、富士山宝永噴火
1923年 関東大震災
1983年 日本海中部地震、三宅島噴火
1995年 阪神大震災
2007年 新潟県中越沖地震ーー;
がびーんちょーー;
・・・えーと、おいら年男なんだよなぁ。。。
己亥(昭和34年、平成31年)
この生れの人は、病猪または弱猪といいます。
心身ともに弱く臆病な人が多い。
しかし気概は強く負け嫌いです。
心配性で取り越し苦労が多い。
芸ごとに興味を持ち、熱しやすく冷めやすい。
気迷いが多く持続性は少ないほうです。
共同的精神が少なく、利己主義で、欲も深いほうです。
交際範囲は狭く引っ込み思案です。
異性のことで失敗しやすい方です。
配偶者にも変化が多い人です。
空想に憧れ現実離れし、処世に不得手です。ーー;
深呼吸と・・・ほかの所、見よっと。
亥(い)は発芽に備えてエネルギーを貯める時期2019年の十二支です。
亥は、十二支の最後です。
植物の成長としては、葉っぱも花も散ってしまい、
種に生命を引き継いだ状態が、「亥」です。
亥の年は、翌年から始まる次の種の成長に備えて、
個人は、知識を増やす、精神を育てる組織は、
人材育成や設備投資、財務基盤を固めるなど、
外に向けての活動ではなく、
内部の充実を心がけると良い年です。
ちなみに亥は、
猪肉の栄養価が高く病気予防になることから、
無病息災の象徴とされています。
風水でも猪は、無病息災の象徴で、
また目標に向かって猛進していく人を助ける「火の神の化身」とされています。
ふむふむ、まだ花は咲かないが、^@^w病気、治らないかね。
そしてこれこれ!
ちなみに、亥年の参議院選挙は、
自民党が弱いというジンクスがあるそうです。 春の自分の選挙で地方議員が疲れてしまい、
夏の参議院選挙の応援に力が入らないことが原因なのだとか。
このジンクスは「亥年現象」と呼ばれていますが、
さてさて2019年はどうなるでしょうか?
で、猪突猛進。ふむっ!いいことありそうな^@^v
…前後のことを考えずに猛烈な勢いで突き進むこと。
周りへの配慮や反省なしにがむしゃらにやり抜くこと。
えーいっ!がむしゃらに生きてやるぞぅー^-^-っ!
自棄^^;w
ちなみに、猿、鳥、犬と桃太郎の家来、三匹が続いて、 荒れる状態だったのが、おちつくみたいですよ^@^v ご安心を。
がびーんちょーー;
記憶に新しい大きな地震が亥年に起こっていることが分かります。
1707年 宝永地震、富士山宝永噴火
1923年 関東大震災
1983年 日本海中部地震、三宅島噴火
1995年 阪神大震災
2007年 新潟県中越沖地震ーー;
がびーんちょーー;
・・・えーと、おいら年男なんだよなぁ。。。
己亥(昭和34年、平成31年)
この生れの人は、病猪または弱猪といいます。
心身ともに弱く臆病な人が多い。
しかし気概は強く負け嫌いです。
心配性で取り越し苦労が多い。
芸ごとに興味を持ち、熱しやすく冷めやすい。
気迷いが多く持続性は少ないほうです。
共同的精神が少なく、利己主義で、欲も深いほうです。
交際範囲は狭く引っ込み思案です。
異性のことで失敗しやすい方です。
配偶者にも変化が多い人です。
空想に憧れ現実離れし、処世に不得手です。ーー;
深呼吸と・・・ほかの所、見よっと。
亥(い)は発芽に備えてエネルギーを貯める時期2019年の十二支です。
亥は、十二支の最後です。
植物の成長としては、葉っぱも花も散ってしまい、
種に生命を引き継いだ状態が、「亥」です。
亥の年は、翌年から始まる次の種の成長に備えて、
個人は、知識を増やす、精神を育てる組織は、
人材育成や設備投資、財務基盤を固めるなど、
外に向けての活動ではなく、
内部の充実を心がけると良い年です。
ちなみに亥は、
猪肉の栄養価が高く病気予防になることから、
無病息災の象徴とされています。
風水でも猪は、無病息災の象徴で、
また目標に向かって猛進していく人を助ける「火の神の化身」とされています。
ふむふむ、まだ花は咲かないが、^@^w病気、治らないかね。
そしてこれこれ!
ちなみに、亥年の参議院選挙は、
自民党が弱いというジンクスがあるそうです。 春の自分の選挙で地方議員が疲れてしまい、
夏の参議院選挙の応援に力が入らないことが原因なのだとか。
このジンクスは「亥年現象」と呼ばれていますが、
さてさて2019年はどうなるでしょうか?
で、猪突猛進。ふむっ!いいことありそうな^@^v
…前後のことを考えずに猛烈な勢いで突き進むこと。
周りへの配慮や反省なしにがむしゃらにやり抜くこと。
えーいっ!がむしゃらに生きてやるぞぅー^-^-っ!
自棄^^;w
ちなみに、猿、鳥、犬と桃太郎の家来、三匹が続いて、 荒れる状態だったのが、おちつくみたいですよ^@^v ご安心を。
伏見上野旭昇堂 2019年 カレンダー 壁掛け 亥 夢 MM0216
- 出版社/メーカー: 伏見上野旭昇堂
- メディア: オフィス用品
富樫雅彦を聴け! 1979/11/22-25「第32回法政祭」 [音楽]
◆1979/11/22-25「第32回法政祭」
・「僕たちは今……80年代のゆくえを追って今"大学"を問う」
歌:長谷川きよし 講演:生越忠
@法政大学学生会館大ホール
・「オールナイト映画 松田優作特集」
上映:黒木和雄監督『竜馬暗殺』
岡本明久監督『暴力教室』
大洲斉監督『ひとごろし』
村川透監督『最も危険な遊戯』
@法政大学学生会館大ホール
・「New Jazz Syndicate in 法政祭」 出演:ニュージャズシンジケート/富樫雅彦
@法政大学学生会館大ホール
ふと、昨日から日本最高峰のジャズドラマー
富樫雅彦のレコードがAmazonで目に付くようになった。
富樫雅彦、この天才ドラマーのことを知っている人は、
もうほとんどいないか、バブリーな財産でまだ「遊んでいる」はずだ。
時代はもうフュージョンの時代だったが、
ジャズ界は王道のモダンジャズからエレクトリックジャズ、
フュージョン、そしてフリージャズとカオス状態だった。
よゐこのジャズファンだった僕は良書「スイングジャーナル」を毎月、読み、
ジャズ評論で色々なジャズを知り、厳選されたジャズレコードを買っていた。
たいてい、ありきたりだったが、たまに驚くようなジャズが聴けた。
富樫雅彦。「スピリチュアル・ネイチャー」。
いけない世界だと思った。
フリージャズは古い音楽だ。
前を向け。
フュージョンが口を開けて待っていた。
そんなフュージョンなお馬鹿ギターを弾いていた頃は、
各大学の奴等と交流があった。
その一つが、法政大学。どんな大学かは知らないが、
ニュージャズシンジケートの奴と知り合い、
セッションに行った。当時の僕は強気だったらしい。
その頃のニュージャズシンジケートの親分は富樫雅彦さん。
・・・法政大のホールの歴史を綴ったネットで見つけた。
1979/11/22-25「第32回法政祭」 「New Jazz Syndicate in 法政祭」 出演:ニュージャズシンジケート/富樫雅彦 @法政大学学生会館大ホール
あの頃はジャズマンだったような気がする。
LIVE at Jazz club DOLPHY Masahiko Togashi Play With Kohsuke Mine, Nobuyosi Ino
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: Trial Records
- メディア: CD
- アーティスト: M.Togashi,井野信義,佐藤允彦,富樫雅彦,富樫雅彦&J.J.スピリッツ,峰厚介,J.Kern,J.Styne,M.Davis,V.Duke
- 出版社/メーカー: ヴィーナスレコード
- 発売日: 2010/10/20
- メディア: CD
富樫 雅彦(とがし まさひこ、1940年3月22日 - 2007年8月22日)
日本のジャズパーカッショニスト、ジャズドラマー。
10代のうちに八木正生トリオ、秋吉敏子コージー・カルテット、
渡辺貞夫コージー・カルテットなど複数のグループでドラマーとして活躍する。
1961年にジャズ・アカデミーを結成し、
以後フリー・ジャズに傾倒する。
麻薬に手を出して1962年1月に甲府刑務所に収監される。
1970年1月、富樫の浮気が原因で背後から
妻にナイフで刺され脊椎を損傷し下半身不随となるが、
5月にはスイングジャーナル誌において読者人気投票ドラマー部門第1位に輝く。
1975年には『スピリチュアル・ネイチャー』が
スイングジャーナル誌ジャズディスク大賞「日本ジャズ賞」を受賞。
その後も「日本ジャズ賞」を繰り返し受賞。
受賞回数は日本人ミュージシャン最多。
他にも1978年に「芸術選奨新人賞」なども受賞している。