風邪の仲間でも違います。死んでしまう人はいる。~マスクもできない社会性のないあなたへ。 [日記]
重度の肺炎などを引き起こす新型コロナウイルスは、
SARS(サーズ)やMERS(マーズ)と同じコロナウイルスの仲間です。
コロナウイルスはヒトや動物の間で広く感染症を引き起こすウイルスですが、
今回のウイルスは既知のウイルスと一致しない新型のコロナウイルスでした。
ヒトに感染するコロナウイルスは、すでに6種類が知られています。
そのうち4種類は、一般的な風邪の原因となるウイルスで、ヒトに日常的に感染し、
風邪の原因の10~15%(流行期は35%)を占めるといわれています。
残りの2種類は、重度の肺炎の原因となるSARS(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス)と
MERS(中東呼吸器症候群コロナウイルス)です。
中国で見つかった新型コロナウイルスは、
これら6種類には当てはまらない新しい型です。
世界保健機関(WHO)では一時的に「2019-nCoV」と命名しました。
ちなみにコロナウイルスを顕微鏡でみると、表面に突起がみられます。
これが王冠に似ていることから、ギリシャ語で王冠を表す「コロナ」にちなんで名づけられました。
(参考サイト:国立感染症研究所「コロナウイルスとは」)
コロナはないとして遊びましたか?よかったですね。 [日記]
ALS患者嘱託殺人、「津久井やまゆり園」殺傷事件から4年、社会保障の崩壊、命の選別問題・・・れいわ新選組も壊れそう。障がい者もヘイトされるか。結局「働いてない」人がお国からお金頂いているのは、どんなに自分が稼いでいても気に食わないんでしょうね。気持ちは分かります。だけどお年寄りになったらたいていの人が障がい者になってしまうんですよ。ロスジェネの人たちは、大丈夫なんですか。・・・れいわ新選組はそこに焦点をあてていたと思ったけど。違う流れに・・・コロナ禍って怖い。えっ、コロナはないの?誰かが仕掛けたにしろ世界的に助かるのは一部ですね。
この4日間、「コロナなんてないよ。死んだ人見たことないし」って遊んだ人、二週間後が楽しみですね。
信頼できるニュース「報道特集」コロナの症状と後遺症・・・ [日記]
「コロナなんてないわよ!」なんて
偉そうに言い放ち、その癖ビビっている
自分大好き、快楽が我慢できない馬鹿が、
GOTOとかして再来週にはまた
コロナ感染者が増えるんだろうな。
せめて3密くらいしていればいいのだが、
お店も客もダメじゃんーー;
確かにテレビ系報道とネットでは内容が違うし、
もはやワクチン戦争に入っていて、
何もハッキリしないから私も迷う。
イライラしている。
でも昨日、報道特集の
コロナに感染して戻ってきた医師の語る
コロナの症状と後遺症は怖い。
心疾患のあるおいらとしては、
ワクチン打つくらい怖い(笑)。
死生観は貫きたいが、痛いは嫌だし。
あぁーー;お腹は痒いし(コロナ太り)。
^@^;おいらも馬鹿のひとりになりそう。。。
サンタナ「グアヒーラ」。 [音楽]
初めてのギターはバイトで買ったジャンク並みのフォークギター。
次が藤沢ジャンボのレコード屋にあった(毎週、売れてないか見に行ってた)w
メーカー知らず一万円のストラトキャスター。バイトして買いましたよ。中三の時かな。
ただ、まだロックとかは聴いてなかった。キャロルとかやっていたのかなぁ。
・・・ところが、ある日ご近所の I先輩がいきなり家に来た!
近所だけどそれまで交流がなかったのでビツクリ!
どうもおいらがその一万円のギターをソノラマを聴くプレーヤーのマイク端子にぶち込んで、
ブルースみたいのを弾いていたのを「ギブソンか?」と思ったらしい。^@^;wI
先輩、耳、悪かったな(笑)。
・・・で、どっさりサンタナを持ってきてくれた。
その中には横尾忠則さんデザインの日本ライブもあり、
もうおいら的にはまったく新しい世界。インドのお香も買ってしまったもの。
で、サンタナは高校あたりでいっぱい日本来てたから2,3回行った。
すごかったなぁ。2メートル先でサンタナ様が^@^v
あの頃は横浜体育館なんかでやってて、
暴走族ガールズなんかたくさんいて楽しかったな^@^w
サンタナの初期は今でも聴きます。
キューバンな香りが切なくて。あぁ哀愁^@^w
あ。ここからですねおいらのギター(人生も)哀愁なの。
トシちゃんの哀愁じゃないぞ^^;w
エッシャーの世界 [日記]
I先輩の専門はデザインである。
ほとんど私と遊んでいる時にその断片も感じられなかったが(笑)。
エッシャーの作品集はよく見たな。
私は絵画というものにほぼ無知で興味がなかった。
だから初めての絵画との出会いだ。
とにかくだまし絵にだまされるのが心地よかった。
それとよく昆虫や爬虫類が出てくるのが「詩的」(笑)だと感じていた。
その後、バンクシーまで絵画に興味を持ったことはない。
どちらかと言うと写真でそれも女子専門か?^@^w
マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher, 1898年6月17日 - 1972年3月27日)
ウッドカット、リトグラフ、メゾティントなどの版画制作でよく知られたオランダの画家(版画家)である。
建築不可能な構造物や、無限を有限のなかに閉じ込めたもの、
平面を次々と変化するパターンで埋め尽くしたもの、など非常に独創的な作品を作り上げた。
M.C. Escher: 1898-1972: The Graphic Work (Basic Art Series 2.0)
- 出版社/メーカー: Taschen America Llc
- 発売日: 2016/07/13
- メディア: ハードカバー
「うぬぼれ」^@^v 『Unubore』Haruna [音楽]
『Unubore』Haruna
・・・ひとつ前が「In My Room」だったのに
もはや自惚れちゃう(笑)Harunaさんだが、
毎回、その世界観には驚く。
今回はアレンジャーのShimizuさんとの
タイマン勝負!と言っても、
アドリブ合戦ではない。
まるで春の嵐のようなアルペジオが乱舞する中を
Harunaさんが惑いながらも力強く歩む感じ。
グルーブ♪グルーブ♪グルーブ♪いう中、
あえてハーモニー重視で構築。
偶然にもコロナ禍の世界を表現しているかのよう。
歌詞は二十歳代のまだ戸惑いもあるが意志のある恋愛がテーマ。
言葉の裏側にあるエロスは
ジャケ写真のビジュアルにも表れている通り。
毎回、次回作が楽しみになるが、
Harunaさんのライブはいつもすごい。
初めから最後まで心地よい緊張感に包まれる。
素直に感動する。
あぁ、コロナがうざいなぁーー;。
ちなみに私の次回作への期待は(いつもそうだが)
ジャズ味と具体的な単語による歌詞の構築だ。
今の完成度をどこまで崩せるか?あぁ、楽しみだわいわい^@^w
https://mariharu003.stores.jp/
男おいどん、松本零士 [日記]
先輩I氏の影響はかなり強かった。
一つ上で、
高校には行かず、デザイン専門校に行っていたからか、
私とまったく異なる文化を持っていた。
漫画が続くがフーテンもそうだが、
松本零士なんてみんな銀河鉄道999あたりからじゃないだろうか。
私は、男おいどんにどんだけ救われたことだろう。
とりさんも好きだったなぁ。
『男おいどん』(おとこおいどん)は、
四畳半の下宿である「下宿館」における主人公、
大山昇太(おおやま のぼった)をはじめとする若者たちの
青春群像を描いた松本零士の漫画。
週刊少年マガジン(講談社)誌上で
1971年5月9日号から1973年8月5日号まで連載された。
第三回講談社出版文化賞児童まんが部門受賞。
宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999、
宇宙海賊キャプテンハーロックへと?がってゆく金字塔的な作品である。
・・・男おいどんファンとしてこの辺は読んでもいない^@^v
今も変わらないな^@^wおいらは男おいどんは元気かな?
アルペジオの練習に!ドノヴァンのみかん人形^@^w [音楽]
ドノヴァン・フィリップス・レイッチ(Donovan Philips Leitch、1946年5月10日 - )
スコットランド出身のミュージシャン、シンガーソングライター。
ボブ・ディランらと共に代表する、
フォークロックの草創期から活動するアーティストの一人。
通称「ドノヴァン」(Donovan)として知られている。
2012年『ロックの殿堂』入り、
および2014年『ソングライターの殿堂(英語版)』入り。
フーテン。永島慎二 [言葉]
アニメブームで漫画もすごい人気だけど永島慎二さんご存じ?
あー。私の文化はほぼ高校生の時に完成されている。
同じ分譲地の先輩I氏の教えが基本にある。
中学生のままサッカー少年で
フォークだけやっていたらまた違っただろう。
当時の高校は湘南大暴走族時代でひとつも面白くなかった。
で、私は先輩I氏の家にいりびたった。
朝「いってきまーす」と言い、
そのまま先輩のお母さんに「おはようございます」と直行である。
そこには違う文化があった。
そのひとつがこの永島慎二さんの漫画である。
先輩I氏からは基本的に一世代前の団塊の世代的な文化を学んだ。
ひとつしか上ではないのに、なぜ?
そうお母さんがカッケー人であの頃でジャズを
聴きまくっていた人なのである。
だから私が朝から出入りしてようが関係なし。
悪いことしなきゃOKなのだ。
ジャズと言えば団塊の世代なのである。
で、団塊の世代・・・とくれば全共闘だが、
その辺は置いといて、ヒッピー文化、フーテンである。
このヒッピー文化を継承し先輩I氏は
今もとある山中の一軒家で自炊生活しながらひとりで暮らしている。
あまりにすごい人なので私はついていけないが・・・。
改めて永島慎二さんを調べてみた。
永島 慎二(ながしま しんじ、1937年7月8日 - 2005年6月10日)
日本の漫画家。本名は永島 眞一(または真一、ながしま しんいち)。
東京都出身。愛称はダンさん。長男はギタリストの永島志基。
東京市滝野川区生まれ。生家は雑貨商であった。
父を戦争で失い、空襲で家を焼かれる。
小学校3年の頃から漫画家になることを志望。
目黒区立第一中学校では総番長を務め、
高校3年生を相手に暴行傷害事件を起こしたこともある。
■1961-64年:「漫画家残酷物語」を執筆。
■1964-66年:テレビアニメ「ジャングル大帝」などで主に演出を担当。
■1967-71年:少年キングで「柔道一直線(原作:梶原一騎)」を連載。
前衛誌の「ガロ」で多くの短編を、「COM」では「フーテン」を執筆。
この時期は永島慎二がもっとも精力的に描いていた時期にあたり、
同時代の青少年読者からは「青年漫画の教祖」と呼ばれるようになっており、
大きな影響力をもつようになります。
永島の執筆活動に大きな影響を与えたのはヒッピー文化でしょう。
1960年代の後半には米国で「ヒッピー」と呼ばれる新しい若者文化が大きな潮流となり、
その動きはまたたくまに全世界に広がっていきました。
「ヒッピー(Hippie)」とは伝統・制度など既成の価値観に縛られた人間生活を否定し、
より自然に近い生活に回帰する運動であり,
日本では「フーテン」と呼称されていた時期もあります。永島は絵の勉強として米国に旅行し、
実際に新宿でフーテン生活を経験して「フーテン」を執筆しています。
■1970年代:単行本の「若者たち」の初版が1973年ですので1970年代の初めに発表されたと推測します。
■1980年代以降:漫画家としては半隠居状態。2005年6月10日、慢性心不全のため亡くなっています。享年67歳…合掌…。
フーテン?^@^;w
※若者たちは土曜の夜ごとに
新宿駅・西口広場に集まって反戦フォークを歌い、
議論を戦わせていました。
そのような熱い集団に対して、
同じ新宿駅・西口広場を「グリーン・ハウス」と呼んで日がな一日、
何をするでもなくたむろする集団も現れます。
彼らには多くの呼称がありましたがその中の一つが「フーテン」です。
昭和43年には彼らは20歳前後になっており、
その集団のパワーで新しい文化をけん引していました。
けん引という言葉は適切ではないかもしれません。
人数の多い世代ですのでその動向がそのまま社会の新しい動向だったのですね。
私がフーテンを見たのは一度だけ。
小学生の頃から家族で新宿を降りた時、
なんか長髪で薄汚れたのがたくさん座っていた光景が脳裏に焼き付いています。
さて、永島慎二さんの画風はというと少年漫画とはだいぶ異なっていました。
確固としたストーリーもなく詩のようでした。
そして、その独特なタッチは青春時代の私の胸に突き刺さりました。
高校に幻滅していた私はその後の18からの生活にかなり期待していたのでしょうね。
瞳が真っ黒な少女。圧倒的な孤独と仲間たち。ジャズ。挫折。セックス・・・。
ネットで思い出深い場面が見つかりました。
ちなみにこれだけ陶酔した永島慎二の本を私は断捨離しています(笑)。
なぜだろうな?
あー。私の文化はほぼ高校生の時に完成されている。
同じ分譲地の先輩I氏の教えが基本にある。
中学生のままサッカー少年で
フォークだけやっていたらまた違っただろう。
当時の高校は湘南大暴走族時代でひとつも面白くなかった。
で、私は先輩I氏の家にいりびたった。
朝「いってきまーす」と言い、
そのまま先輩のお母さんに「おはようございます」と直行である。
そこには違う文化があった。
そのひとつがこの永島慎二さんの漫画である。
先輩I氏からは基本的に一世代前の団塊の世代的な文化を学んだ。
ひとつしか上ではないのに、なぜ?
そうお母さんがカッケー人であの頃でジャズを
聴きまくっていた人なのである。
だから私が朝から出入りしてようが関係なし。
悪いことしなきゃOKなのだ。
ジャズと言えば団塊の世代なのである。
で、団塊の世代・・・とくれば全共闘だが、
その辺は置いといて、ヒッピー文化、フーテンである。
このヒッピー文化を継承し先輩I氏は
今もとある山中の一軒家で自炊生活しながらひとりで暮らしている。
あまりにすごい人なので私はついていけないが・・・。
改めて永島慎二さんを調べてみた。
永島 慎二(ながしま しんじ、1937年7月8日 - 2005年6月10日)
日本の漫画家。本名は永島 眞一(または真一、ながしま しんいち)。
東京都出身。愛称はダンさん。長男はギタリストの永島志基。
東京市滝野川区生まれ。生家は雑貨商であった。
父を戦争で失い、空襲で家を焼かれる。
小学校3年の頃から漫画家になることを志望。
目黒区立第一中学校では総番長を務め、
高校3年生を相手に暴行傷害事件を起こしたこともある。
■1961-64年:「漫画家残酷物語」を執筆。
■1964-66年:テレビアニメ「ジャングル大帝」などで主に演出を担当。
■1967-71年:少年キングで「柔道一直線(原作:梶原一騎)」を連載。
前衛誌の「ガロ」で多くの短編を、「COM」では「フーテン」を執筆。
この時期は永島慎二がもっとも精力的に描いていた時期にあたり、
同時代の青少年読者からは「青年漫画の教祖」と呼ばれるようになっており、
大きな影響力をもつようになります。
永島の執筆活動に大きな影響を与えたのはヒッピー文化でしょう。
1960年代の後半には米国で「ヒッピー」と呼ばれる新しい若者文化が大きな潮流となり、
その動きはまたたくまに全世界に広がっていきました。
「ヒッピー(Hippie)」とは伝統・制度など既成の価値観に縛られた人間生活を否定し、
より自然に近い生活に回帰する運動であり,
日本では「フーテン」と呼称されていた時期もあります。永島は絵の勉強として米国に旅行し、
実際に新宿でフーテン生活を経験して「フーテン」を執筆しています。
■1970年代:単行本の「若者たち」の初版が1973年ですので1970年代の初めに発表されたと推測します。
■1980年代以降:漫画家としては半隠居状態。2005年6月10日、慢性心不全のため亡くなっています。享年67歳…合掌…。
フーテン?^@^;w
※若者たちは土曜の夜ごとに
新宿駅・西口広場に集まって反戦フォークを歌い、
議論を戦わせていました。
そのような熱い集団に対して、
同じ新宿駅・西口広場を「グリーン・ハウス」と呼んで日がな一日、
何をするでもなくたむろする集団も現れます。
彼らには多くの呼称がありましたがその中の一つが「フーテン」です。
昭和43年には彼らは20歳前後になっており、
その集団のパワーで新しい文化をけん引していました。
けん引という言葉は適切ではないかもしれません。
人数の多い世代ですのでその動向がそのまま社会の新しい動向だったのですね。
私がフーテンを見たのは一度だけ。
小学生の頃から家族で新宿を降りた時、
なんか長髪で薄汚れたのがたくさん座っていた光景が脳裏に焼き付いています。
さて、永島慎二さんの画風はというと少年漫画とはだいぶ異なっていました。
確固としたストーリーもなく詩のようでした。
そして、その独特なタッチは青春時代の私の胸に突き刺さりました。
高校に幻滅していた私はその後の18からの生活にかなり期待していたのでしょうね。
瞳が真っ黒な少女。圧倒的な孤独と仲間たち。ジャズ。挫折。セックス・・・。
ネットで思い出深い場面が見つかりました。
ちなみにこれだけ陶酔した永島慎二の本を私は断捨離しています(笑)。
なぜだろうな?