SSブログ

スライ・ファミリー・ストーンやで^@^v [音楽]



ふと昨日、YouTubesurfingしていたら、

「ん?このもみあげにこのファンキーな感じは?」

640.jpg

そう、スライ!だぁ^@^;w

いやぁ、若い頃、様々な音楽が花開いたから、

忘れがちだが、歌謡曲、ジャズの前は、

やはり黒人音楽が好きだった。

当時は湘南大暴走族時代であるとともに、

ディスコ時代でもあったのだな。

で、ダンスはうまく踊れなかったが、

テレビ「ソウルトレイン」とか一生懸命、観ていただ。

これでもテレビの前でフリチャチャとかしてたのだ(笑)。

th_slyandthefamilystone.jpg

で、改めてスライ・ストーンで検索してみたら、

ちょうどAmazonprimeでスライの映画やってんじゃん!

「Sly Stone スライ・ストーン」

いやぁ、このサウンドだぁ!
黒いんだけど、白人も女性もいて、
バイオリンやらホーンやらラリーグラハムやらいて、
こうキャッチーなフレーズが重なって、
おもちゃ箱のようなワクワクするサウンド!
スライはもちろんご機嫌でお茶目な感じ。
しかし、スライはブラックパンサーとかに
寄付を要求されても断ったんだね。
あの頃も今も黒人(だけでなく)差別はあったけど、
スライはそれらと関係なく、ただのミュージシャンだったんだなぁ。
メンバーも友達とか血縁とかだもんね。
いいね!ジャズは色々な音楽とつながっているから、
色々と聴いてたんだな。



スライ・ストーン(本名シルヴェスター・スチュアート)は、

1944年テキサス州ダラスに生まれ。

1967年に、ファースト・アルバム『A Whole New Thing』と

シングル「Underdog」を出すが「もっとポップな曲を」と要求されたため、

渋々出したシングルが1968年2月の「Dance to the Music」だった。

この曲はビルボード・Hot 100の8位を記録し、

グループの名を初めて全米に轟かせた記念すべき曲となった。

1968年11月、シングル「エヴリデイ・ピープル」をリリース。

バンドにとって初めてのナンバーワンヒットとなった。

この曲は人種差別はもちろん、あらゆる偏見を否定する曲であり、

全盛期のスライ&ザ・ファミリー・ストーンの考え方を代表している。

1969年5月にアルバム『スタンド!』をリリース。

300万枚を売り上げ、60年代に最も成功したアルバムのひとつとなった。

8月にはウッドストック・フェスティバルに出演し、

愛と平和と人種統合の理想を背景に時代の寵児となった。

同月に発売したシングル「ホット・ファン・イン・ザ・サマータイム」は

全米チャートで2位、12月に発売したシングル「サンキュー」は

1位を記録するなど人気はとどまるところを知らなかった。

しかし、同じ頃すでにリーダーのスライ・ストーンは麻薬中毒に侵されていた。

そんな時期でも、輝きを放ったアルバムが、

1971年11月の『暴動』である。

このアルバムは、以前のスライとは大きく異なる、

暗いトーンながらも非常にファンキーな作品に仕上がった。

シングルカットされた「ファミリー・アフェア」により

3度目の全米チャート1位を獲得した。

2008年8月31日、東京JAZZ2008、

9月2日ブルーノート東京で初来日公演を行った。 

この東京JAZZの公演には、ニューミュージックの音楽家も来て、

「ファミリー・アフェア」を聴いて泣いた』とのことである。

2010年代には、久しぶりにスライの状況がニュースとして報道されたが、

それは著作権を手放し、

トレーラー・ハウスで生活しているという知らせだった。

ところがどっこい、版権を取り戻し、パソコンで音楽やってるぜ!

カッケー!スライ!

42673.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。