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死はどこかであきらめないと辛い。 [日記]

還暦も近くなってくると、
色々な死と出会っていることに気づく。

高校受験の時、悩み自殺した同窓生。
堕胎した赤ちゃんの死。
祖父の死。・・・初めての遺臭の経験。
愛犬の死。・・・初めての家族の死。
父の死。・・・親不孝な自分への反省。
親友の孤独死。・・・もう一歩、側にいれば。
・・・近しい死にはやはり心は寄り添う。

誰でもよかった殺戮。
年間三万人の自殺者。
自然災害による死者。
戦争・テロによる死者。
年寄りのクルマに殺された子供たち・・・。

死はなんと日常的なのだろう。そして考えた。

まず、いちいち身近ではない死に心を寄せるのはよそう、と。

3.11はどうしていいか分からなかった。
あの津波で何人の人が亡くなったのか。
でも報道が落ち着いてきて、
大きな災害による「死」から個々の「死」にマスコミが入り込んだ時から、
知らない人の死にはあまり心を寄せないことにした。
亡くなった人の家族、知人の哀しみはひとそれぞれ。
すべての心を追い続けていては自分がおかしくなる。

葬式も知っている人、遺影と自然に向き合え話せる人のみの出席にした。
冠婚葬祭に縛られる必要はない。自分のルールでいい。

一昨年の7月26日、障がい者施設での殺戮があった。
「可哀そうだから」という理由で障がい者の具合の悪い方から、
順番に殺されていった。

犯人は施設の職員。
捕まった時の笑顔が狂った猿に似ていた。

彼の言っていることもわかる。
これは私も内的障がい者だから書けることだが、
障がい者はとてもやっかいだ。

私にしても、見た目が普通なので、
よく早足で歩かないで、と頼むと変な顔をされる。
約束はみんなその日次第。ドタキャンだらけ。
しかもいつ倒れるかわからない。
自分でも嫌になるくらいやっかいだ。

障害によっては、死んでしまいたいと思っている人もいるだろう。
「自分は可愛そう」だなんて思っている障がい者もいるだろう。

今の政権でいよいよ障がい者の生活は苦しくなる。
消費税はみんなお偉いさんのところに行く。

障がい者はいよいよ立場がなくなる。その家族だって萎縮してしまうだろう。
(家族の立場もそれぞれなので触れないが)。

そして私は一つの仮説をたてた。

この世に生まれてこれなかった命。
生まれてすぐ親に殺された命。
いじめで自殺した命。
リストラで亡くなった命。
病気で消え去った命。
理不尽な誰でもよかったという理由で殺された命。
・・・すべての死は、子孫繁栄から見れば想定内であると。

生きる者の一番の大きな役割が子孫繁栄とすれば、 受け継がれる遺伝子も、新しい時代に適応しなければならない。
そこから外れたものに死はやってくる。

逆に今は「障害」でもそれが未来に生き残るための進化ならば、死ぬことはない。
未来へと繋がっていく。

そう思えば、最近の訳の分からぬ死にも心をよせないで済む。
自分の心を傷つけてまで悲しまないで済む。

狂った猿の死も近いだろう。 オウムも皆、処刑された。
(以上は私だけの考え方で、自分の心を痛めないためのただの屁理屈です)。













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