ラリー・カールトンも老けたな^^;w [音楽]
髪もふさふさ!若いぜ^@^v
ラリー・カールトンと言うと、
サザンの曲にも出てくるフュージョンギタリストの代表格。
ジョーパスに師事しジャズもかなり濃いが、
クルセーダーズでブルースなどのノリを身につけ、
その繊細で情熱的なギターは日本中のギターキッズをめろめろに^^;w
とにかくコードがよくわかんないでしたね。
フュージョンの人、そういうの多くて、
しかも超テクでしょ。
友だちが完全コピー譜面買って(笑)、
ひと夏かけてできるようになったけど。
微妙、ジャズ寄りのおいらとしては、
マイケル・フランクスのLPでの、
ゲスト演奏が好きだったなぁ。
仕事、入ってからは聴かなかったけど、
ここんとこのロベン・フォードとのはいいな。
あぁ!事故ってたのは驚いたな! 今はなんかひとり渋くオーケストラとやってたなぁ。
ミスってた。カールトンが!・・・あぁ、青春だよなぁ。。。
^@^v
ラリー・カールトン(Larry Carlton、1948年3月2日 - )
アメリカ合衆国カリフォルニア州トーランス出身の
ジャズ・フュージョン界を代表するギタリスト、作曲家。
6歳の頃からギターを始め、ハイスクール時代には
ブルースやジャズを演奏し始めジョー・パスに師事。
1968年にファースト・アルバム「With a Little Help from My Friends」をリリース。
その後1971年から1976年までザ・クルセイダーズに参加する。
1978年から1984年に掛けて、
ワーナー・ブラザース・レコードから6枚のソロ・アルバムを制作した。
しかし1988年4月、"Room 335"
(南カルフォルニアにある自宅のプライベート・スタジオ)の
外にいた青年に銃撃される。幸い一命はとりとめたものの、
この銃撃により彼の声帯は破壊された上、
左腕にも麻痺が残り、発声をしたり
ギターが演奏できるようになるまでには
半年以上を要したほどの重傷であった。
彼自身も重大な精神的外傷を負ったが、
徹底的な治療とポジティブな持ち前の精神力で、持ち直す。
1997年からはリトナーに代わり、
スムーズジャズグループであるフォープレイに参加。
ソロ活動においてもフュージョンとブルースをより上手く融合し、
ロベンフォードらと新しいカールトン・ミュージックを確立している。
ラリー・カールトンと言うと、
サザンの曲にも出てくるフュージョンギタリストの代表格。
ジョーパスに師事しジャズもかなり濃いが、
クルセーダーズでブルースなどのノリを身につけ、
その繊細で情熱的なギターは日本中のギターキッズをめろめろに^^;w
とにかくコードがよくわかんないでしたね。
フュージョンの人、そういうの多くて、
しかも超テクでしょ。
友だちが完全コピー譜面買って(笑)、
ひと夏かけてできるようになったけど。
微妙、ジャズ寄りのおいらとしては、
マイケル・フランクスのLPでの、
ゲスト演奏が好きだったなぁ。
仕事、入ってからは聴かなかったけど、
ここんとこのロベン・フォードとのはいいな。
あぁ!事故ってたのは驚いたな! 今はなんかひとり渋くオーケストラとやってたなぁ。
ミスってた。カールトンが!・・・あぁ、青春だよなぁ。。。
^@^v
ラリー・カールトン(Larry Carlton、1948年3月2日 - )
アメリカ合衆国カリフォルニア州トーランス出身の
ジャズ・フュージョン界を代表するギタリスト、作曲家。
6歳の頃からギターを始め、ハイスクール時代には
ブルースやジャズを演奏し始めジョー・パスに師事。
1968年にファースト・アルバム「With a Little Help from My Friends」をリリース。
その後1971年から1976年までザ・クルセイダーズに参加する。
1978年から1984年に掛けて、
ワーナー・ブラザース・レコードから6枚のソロ・アルバムを制作した。
しかし1988年4月、"Room 335"
(南カルフォルニアにある自宅のプライベート・スタジオ)の
外にいた青年に銃撃される。幸い一命はとりとめたものの、
この銃撃により彼の声帯は破壊された上、
左腕にも麻痺が残り、発声をしたり
ギターが演奏できるようになるまでには
半年以上を要したほどの重傷であった。
彼自身も重大な精神的外傷を負ったが、
徹底的な治療とポジティブな持ち前の精神力で、持ち直す。
1997年からはリトナーに代わり、
スムーズジャズグループであるフォープレイに参加。
ソロ活動においてもフュージョンとブルースをより上手く融合し、
ロベンフォードらと新しいカールトン・ミュージックを確立している。
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