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四十路以降のメモ。総論w [日記]

長文。二度目の成人式。

そうかぁ。ふと思い出したが、

20年前の今日は汗をかきながら辻堂駅から、

海側のサーファー通りを約10分くらい歩いた

賃貸住宅に向かっていたんだ。

毎日30件程度の仕事をこなしその後呑んで朝方カプセルで寝る。

という生活に疲れていた僕は、

もう広告業は辞めてこの地でパン屋さんでもしながらサーフィンをしようと思っていたのだった。



引っ越し業者の人と荷物を運び入れ、整頓する。

そこには後々、婚約した女性が来るはずだった。

でも、次の日、会社の健康検査の追跡調査で湘南鎌倉病院に行き

(そうか、夏休みとってたんだな)、女医さんに診てもらっていたら、

いきなり女医さんの顔色が変わって、何処かに行ってしまった。

戻ってきたのは手術着を着た心臓医師。



「何を笑っているんだ!君は来年海外で心臓移植しないと死んでしまうのだぞっ!」



うーん、いきなりで笑うしかなかったのだろうな。

突発性拡張型心筋症。

当時は湘南鎌倉病院には神の手を誇る須磨医師がいて

この病に取り組んでいたから素早く見つかったのだろう。



もちろん、引っ越しは辞め、会社即刻退社、

それから2年間は寝てはゲーム(サカつく)をする生活へ。

だが2年後にSOHOし始めた途端、タバコと酒も復活!

甥っ子と遊ぶという喜びに体力もつきストレスもなく

「予後悪し」であった病気が少しよくなった。



でも、きつかったのは世間体だ。

見た目が普通なので「なんでこりさん働かないの?」攻撃がすごかった。

家にいるからとヒッキー扱いされた。

どんだけ就職活動したと思ってるんだ、このぅ(笑)。

失われた20年間・・・年間3万人の自殺者が出たあの時代に

「難病者、おっさん、コピーライター?」を誰が雇う。



幸い、父親のこの家にお世話になって、少しは稼いでいたけど、

甥っ子が大人になって遊んでくれなくなってから。

リーマンショックの後から。ペースメーカを入れてから。

音楽で遊んでいるだけになった。



もちろん、障がい者用ハローワークの求人は今も見ているけど、

なかなかないし。

ついには職員に「障がい者隠してやれば」なんて言われたりしてね。

しかし「おまえは長生きするよ」なんて言っていた友人が本当に先に逝ったり、

3.11があったり安倍政権が長期に続いたり、生きてると色々あるわなぁ。

はぁ、たまには吐かないと、ストレス溜るからね。

・・・しかし、FB見てると本当呑んでばっかし(笑)。



だいたいこんなで^@^w還暦でコロナか。

人生、損してんな。

早死にしても、結婚して、

ガンガン働いていた方が人間だったかもな。



まぁ、しょうがない。
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