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「さいしょのともだち」 [ショート・ショート]

「さいしょのともだち」
と言うと、小学校の時かな。
幼稚園の面接試験でおいらを机から突き落とし、
ガン泣きのおいらはその幼稚園に入れなかった。
そいつは幼稚園からの天敵で、どうもそいつの母親がウチの母親を気に入らなかったようだ。
太田って名前の奴な。
で、お馬鹿なおいらはこいつにいつも意地悪されて、
クワガタをカブトムシの雌と取り換えられたりした。
ところがだ。
小学一年生になって、おいらには佐藤君という友達ができた。
とってもいい奴で、お馬鹿のおいらともよく遊んでくれたし、
野球とか教えてくれた。
だが、佐藤君、いわゆるPTA的(母親たち)には嫌われていた。
お父さんは団地の管理人・・・それが原因らしい。
その頃はよく分からなかったが、佐藤君、
幼稚園には行っておらず(当時は半々だったのかな)、
いわゆる団地の年長クラスでは「番長」だったのだ。5歳児で番長もないもんだが・・・。
それで、太田の馬鹿はびびっちまっておいらをいじめなくなった。
佐藤君とは毎日遊んだが、かなりハードの奴で、
注射針や塩酸が落ちているゴミ収集所で危ないもの拾ったり、
電車の線路に石を置いたり・・・。
そうそう、当時なプロレスが大ブームでおいらも鉄の爪エリックに成りきっていたが、
佐藤君はもちろん強いジャイアント馬場。遊びで右手を固められ、
おいらの右手、カクンとなっちまった。
先生が来るまでは笑顔だったが、着たとたんガン泣きのおいら。
医者へ。なんか腕の筋がどうかしたようだった。
それで一週間、学校をさぼったおいらだが、
佐藤君、律儀にも、母親と謝りに来て、カルピス持ってきてくれた。
ったく、調子いいおいら「やったー」ってば。
それからおいらが鎌倉に引っ越すまでいい友達。
しばらく文通なんかもした(笑)。62歳まで生きてるかな?
ちなみに太田の母親はおいらが22歳の頃、わざわざ鎌倉に電話してきて、
母親に兄とおいらの就職状況を聞いてきた。
太田の勝ち。太田の母親、結局、ウチに負けたくなかったのかねぇ。
で、満足なのかねぇ。お馬鹿な兄とおいらに勝って?

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