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せん妄 [日記]

『せん妄』

遠くに堤防と真っ青な海。
随分と旅行なんてしていない僕は少しはしゃいでいた。
四人部屋はいっぱい。男ばかり。
みんなカーテンを閉めっきり。
淡い光が漏れているのはパソコンのせいだろう。
そうもうみんなテレビなど観やしない。ましてやオリンピックなど。
僕もスマホひとつだ。
YouTubeで小和瀬さとみのユーミンを聴く。
透き通ったそれでいて新しいニュアンスが心地よい。
海に目をやり、遠い昔を思い出す。
ユーミンはなんて最強なんだろう。

次の日の午後、ショーは始まった。
麻酔医の細やかな説明。
裸の僕のまわりで踊り続ける看護師たち。
ぼっ。電気はいきなり消えた。


・・・寒い。恐ろしい寒さの中、僕は起きた。
氷の世界。ブリザード。
ひとりの看護師が神経質に部屋を磨いている。
黙々と作業をしている。
僕の存在は無視されている。
泪が込み上げてきた。
(死ぬのだろうか?)

「カチャカチャ」
氷の世界の向こう、
壁の向こうから電球の明かりが漏れている。
そこから見える神経質な会話。
手術道具のぶつかる音。

声を出してみた。
「ここだよ。ここにいるよ」

看護士がファニークラウンのように笑ってこっちを向いた。
「完食できた?」


・・・「ここは大学病院だから、皆さんのご意見を伺っているの。
あなたはもうお年だから、医療への期待をお聞きしたいの?」
「・・・僕は心臓病で、全国心臓の会にいたけど、
そこは心臓病の子供たちの「親」の会だったんだ。
僕たち思春期より上の患者は無視されていた。
だからレポートを書いたんだ。
思春期、働き盛り、シルバーからの要求を・・・。
会長から書き直しを求められていたけど突っぱねた。
そうしたら会長のやはり心疾患のある息子が言ったんだ。
「おかぁさんも辛いだろうけど。まず患者が辛いんだよね」
べてはハッピーエンドさ」
「そんな話はないわ。夢よ」



・・・妙に色っぽいお姉さんと逞しいお兄さん。
ステーキ用の大きなフライパンの上で
僕の下腹部を切り刻んでいる。
そんなに大きくないあそこをお姉さんが上手にひっくり返す。
(あぁ、恥ずかしい)。
僕はお兄さんにやたら話しかける。
真面目な会話で恥ずかしさから逃げようとしているが、
お姉さんのコロコロ笑い声にはかなわない。


・・・どこか東南アジアの少女がいる。
看護士さんらしい。
「起きましたか。ご飯食べれそうですか。痛くないですか」
「ううむ」
体中のどこも痛い所はなかった。食事を頼む。
180gのご飯。僕には多い。マーボー豆腐は遠慮した。
「飴ちゃんいる?」
妹が用意してくれた看護師さんへの感謝の印だ。
「あぁ、ごめんさい。私いりません。受け取るのいけないのです。ごめんなさい」
・・・最近は医師会系も厳しくなったのかな。
なんだか哀しくなって、目を閉じる。



ユーミンが聴こえた。
手術から三日目が過ぎていた。

年配の看護師さんに聴く。
「すごい冷たい部屋にいました?」
「ER?ええ。貴方は大手術だから次の日の朝までERにいたのよ」

「なんか医療について聞きませんでしたか?」
「あぁ、あったわよ。隣の舜さんね。貴方には何も聞かなかったわ」

「手術はうまくいったのかなぁ」
「完璧よ、多分」

「東南アジアの看護師さんは・・・」
「東南アジア?ここは横浜よ。大丈夫?」

何本かの管が身体から抜かれ、僕は現実に戻った。
ふらつきながらトイレに行き、
痛みに耐え、ひたすら眠った。

外は篠つくような雨が降っていた。




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ちょっくら、入院してくんね^@^; [日記]


「行ってきます」



「行ってらっしゃい」



なんて、家は作れなかったけど。



「おかえり」



って、言ってくださいね。


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腎臓癌 [日記]



この演奏、ちょうどコロナが始まった頃の。

ボーカルの人とこういう感じやろうな、って言ってたんだけど。

昨日、YouTubeのこの演奏にコメントがついててびっくり、

おいらも改めて聴いたんだけど。

・・・あぁ、今の演奏とまるで違いますね。

ブルースぽいけど未来がまだある感じ。

ぜひ聞いてみてください。



で、6月頃から、

ずっと続いてる便秘(尾籠な話でゴメン)。

なんかしつこいし、母親、兄が大腸がんを患っていたので、

大腸スコープと胃カメラをやりました。

小さなポリープが見つかりましたがたいしたことはない。



と、

腹部エコー検査で、

左の腎臓に腫瘍が見つかりました。

10センチを超える大きさ。

・・・CTスキャンでの検査から間違いないので、

心臓病でお世話になっているSK病院へ紹介状。

泌尿器科での受診でいきなり、横浜のSDで手術がいいでしょう、と。

「は?ここでやれないのですか?」

心臓疾患とかある人はいつもそこで・・・そうかぁ。

ちょうど心臓の定期検査の時期だったので、

心臓医師の意見を聞くことに。

「えっ、ここでしないのかぁ!」

心臓医は強気なれど、

泌尿器科の先生は弱気、

さらにこの泌尿器科のお偉いさんには、

過去、ひどい目にあっているので、

横浜のSDに紹介書を書いてもらう。



少し遠いいし、コロナ禍なので妹にクルマで運んでもらう。

3回目の様々な検査で、入院、手術が決まりました。



左腎の全摘手術。転移はなさそうですが、

20センチほどの開腹手術。

心臓に病気があるので、

それなりに大手術と言われました。

8月29日入院。



・・・ところがコロナの感染爆発のせいで、

お国からのお達しとやらで、

9月2日の入院に伸びました。



すごいですね。コロナの感染、

自宅療養しなければいけないほど、

医療が圧迫され、

政府は治療薬の整備にかからず、

パラリンピック?



できることは、マスク、アルコール消毒、人込みにいかない、

ワクチン、健康を保つ・・・​​​​​​​



でも、9月2日に本当に入院できるのかな?

その病院コロナもあつかっているし。

おいらはワクチンも打っていない。

空気感染の今、罹ってもおかしくない。

PCR検査で落ちたら、手術はできない。



なんでこの腫瘍は10センチを超えたのだろう。

違和感があって色々な医者に訴えてきたのに!

どの医者も触診もせず、パソコンに向かっているだけ。

ある医師は「筋肉じゃない?」なんて言いやがったな。



まぁ、いい。そんなわけで切羽詰まって聴いた、

自分の1年数か月前の演奏。

これが私の一番いいいい演奏になるのかな。



世界中の皆さん、お願いです。

謀略論の皆さん、

ワクチン反対の方、

日本の政府、官僚、医師会、薬剤会社、

真面目にやってください。



もし、私になにかあったら恨みますよ。

宗教、スピリチュアルすべてを馬鹿にしていた

私が恨みますよ。まずは謀略楼の糞野郎から!(笑)

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四十路以降のメモ。総論w [日記]

長文。二度目の成人式。

そうかぁ。ふと思い出したが、

20年前の今日は汗をかきながら辻堂駅から、

海側のサーファー通りを約10分くらい歩いた

賃貸住宅に向かっていたんだ。

毎日30件程度の仕事をこなしその後呑んで朝方カプセルで寝る。

という生活に疲れていた僕は、

もう広告業は辞めてこの地でパン屋さんでもしながらサーフィンをしようと思っていたのだった。



引っ越し業者の人と荷物を運び入れ、整頓する。

そこには後々、婚約した女性が来るはずだった。

でも、次の日、会社の健康検査の追跡調査で湘南鎌倉病院に行き

(そうか、夏休みとってたんだな)、女医さんに診てもらっていたら、

いきなり女医さんの顔色が変わって、何処かに行ってしまった。

戻ってきたのは手術着を着た心臓医師。



「何を笑っているんだ!君は来年海外で心臓移植しないと死んでしまうのだぞっ!」



うーん、いきなりで笑うしかなかったのだろうな。

突発性拡張型心筋症。

当時は湘南鎌倉病院には神の手を誇る須磨医師がいて

この病に取り組んでいたから素早く見つかったのだろう。



もちろん、引っ越しは辞め、会社即刻退社、

それから2年間は寝てはゲーム(サカつく)をする生活へ。

だが2年後にSOHOし始めた途端、タバコと酒も復活!

甥っ子と遊ぶという喜びに体力もつきストレスもなく

「予後悪し」であった病気が少しよくなった。



でも、きつかったのは世間体だ。

見た目が普通なので「なんでこりさん働かないの?」攻撃がすごかった。

家にいるからとヒッキー扱いされた。

どんだけ就職活動したと思ってるんだ、このぅ(笑)。

失われた20年間・・・年間3万人の自殺者が出たあの時代に

「難病者、おっさん、コピーライター?」を誰が雇う。



幸い、父親のこの家にお世話になって、少しは稼いでいたけど、

甥っ子が大人になって遊んでくれなくなってから。

リーマンショックの後から。ペースメーカを入れてから。

音楽で遊んでいるだけになった。



もちろん、障がい者用ハローワークの求人は今も見ているけど、

なかなかないし。

ついには職員に「障がい者隠してやれば」なんて言われたりしてね。

しかし「おまえは長生きするよ」なんて言っていた友人が本当に先に逝ったり、

3.11があったり安倍政権が長期に続いたり、生きてると色々あるわなぁ。

はぁ、たまには吐かないと、ストレス溜るからね。

・・・しかし、FB見てると本当呑んでばっかし(笑)。



だいたいこんなで^@^w還暦でコロナか。

人生、損してんな。

早死にしても、結婚して、

ガンガン働いていた方が人間だったかもな。



まぁ、しょうがない。
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40歳からの記憶を辿る [日記]

NSPじゃない、

ミクシィやらFBをやってると、

大抵、書くことないから過去の思い出を書いてしまう。

おいらもほぼ書いたのだが、

書けないのは、心筋症という病気をしてからだ。

すべてなんか靄に包まれ、

時系列になくはっきりと思い出せない。

で、とりあえず、ワンポイント的だが思い出せる所を・・・



まず、病気が見つかり死の宣告を受けるまで・・・



Mac導入により、広告業界は、デザイナーがその使い方を覚える、

また印刷所などはそのマックデータを印刷できる仕組みが必要だった。

みんな手探りでもちろんクライアントもなんのこっちゃ!で、

肝心の広告を作るよりMac様中心の広告業界になった。

もちろん、コピーライターや営業も流れには乗らないといけない。

で、こうなると、デジタル(コンピューター系)系の奴らが威張りだす。

更に、専門校からのMacデザイナー様が優遇される。

お陰でコピーライターのおいらは朝の会議からクリエイティブ会議、

営業、外注管理、広告作り・・・と毎日30個くらいの案件を抱えて

右往左往した。いや頭は動いていたのでこなしていたが、

手となるデザイナーが頭使わなくなったからその作業は夜中になった。

しかもMacでやりたがるから、毎日付き添って、こういうビジュアルね^@^wとか言いつつ、

どうにか仕上げさせ、その後は呑みにいった。

とにかくストレスがすごいので、

まずに中華、次少し高い居酒屋、ここでキャバクラをはさむこともあるが、

12時以降のお店は危険でしたね。で、韓国の素敵おばさんのいるお店へ。

毎日いくらつかったのかしら。とにかく、最後の韓国おばさんに

「こりさんバカネ!」とビンタされるまで呑んだ。呑んで、朝方カプセルホテルへ。



そこで、すごい心臓の痛みに襲われたが、

長くやってたヨーガの腹式呼吸をして助かった。

まぁ、この辺から病魔に狙われていたのだな。
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