噂には聞いていたが・・・すげぇな赤い鳥^@^;w [音楽]
いやぁ、赤い鳥と言えばこの曲で、
中学の時、女子が歌うので伴奏した記憶が^^;
山本潤子さん、素敵やのう。 じゃなく(笑)。
後ろのふたり!今でもうるさい!って言われるぞ^^;
ギターの故・大村憲司さんとドラムのポンタさん^@^;汗だくw
メチャうまくて、文句言えないが、
流石、赤い鳥!メンバーにするんだから、心が広いね(笑)。
・・・知らない人に。
ギター、大村憲司さん・・・兵庫県神戸市出身。甲南高等学校を卒業後、1969年、ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストのロック部門で優勝。 1970年にアメリカに渡り、フィルモア・ウェストのステージに立つ。1971年帰国し、上智大学国際学部へ入学する一方、赤い鳥に参加。1973年に赤い鳥を脱退し、村上秀一らと「エントランス」を結成。続く1974年にバンブー、1975年にカミーノを結成。 1980年、YMOのサポートギタリストとして国内およびワールドツアーに参加。その後1980年代はアレンジャーとして山下久美子のヒット曲「赤道小町ドキッ」をはじめ、大江千里、本田美奈子などの楽曲を手がけている他、セッションギタリストとしても数多くの楽曲に参加。特に1980年代後半から1990年代前半にかけては後藤次利の作編曲作品(工藤静香、とんねるずなど)に頻繁に参加している。晩年は柳ジョージ、遊佐未森、宮沢和史などのツアーにサポートギタリストとして参加。またその卓越したギターテクニックや知識により『ギターマガジン』のエレクトリックギターのレビューを担当。 1998年11月18日、肝硬変(アルコール性肝疾患)で死去。49歳没。
ドラム、ポンタ・・・ーー;ダメだよ、ポンタさん。ポンタカードしか出てこない(泪)。
まっ、いっか^@^w(笑)。
^@^v右端が大村さん、ドラムがポンタさん^@^v